グリフォンズ・ガーデン

 グリフォンズ・ガーデンは、早瀬耕の作家デビュー作である。タイトルは、グリフォンズ(架空の生物で翼を畳んだ、龍のような顔をした、羽毛に覆われた怪獣)の石像が、小説の舞台となる新世代コンピュータ技術開発機構の研究施設に何体もあることから、グリフォンズ・ガーデンと呼ばれていることに由来する。小説はPRIMARY WORLDと DUAL WORLDという2つの世界が交互に語られ展開する。

 PRIMARY WORLD(1次的な世界)

 東京の大学院で修士課程を終えた主人公は、知能工学研究所に勤務するため、札幌の街を訪れる。札幌に到着する飛行機の中で、主人公は奇妙な天然色のゆめを見る。

 どこかの博物館で、フーコーの振り子があるんだ。ドーム状の天井はプラネタリウムになっている。案内の女性が「これは人間の意識を再現したものです」って説明してくれた。

 空港で婚約者の由美子から、

 過去にインプットされていない記憶ってあるかな?

 と問われる。過去においてインプットされていない記憶があるとすれば、未来においてインプットされるだろう記憶となるはずだ。しかし、記憶はすでにインプットされたもののことを言うから、未来においてインプットされた記憶というべきだ。そうなると、「未来」と「すでにされた」を並列することは、アリストテレス矛盾律から逸脱する。未来と記憶も並列できないことになる。空港から出るとき、知らない街の空港で、アリストテレスなんて、素敵だと言って由美子は笑う。

 早瀬耕の小説は、冒頭が素晴らしく示唆や暗示に満ちていると思う。フーコーの振り子とは、地球が自転することを証明するを証明するものだ。時間とともに振り子が回転するように見えるが、実際に回転しているのは、自分が乗っている地球の方だという実験に使われる。記憶を単純に定義するとすれば、何らかの対象を、脳や身体に保存し、再利用できるようにすることだろう。普段人間は、生きていくにつれて、記憶は累積していくと考え、どの程度記憶が変容し、どの記憶が失われて(忘れられていくか)把握することはできない。フーコーの振り子のある点から見える景色(プラネタリウムの星空)は、時間のともに移り変わり、不可逆的な世界だ。一周して元の位置に戻ったとき、星の輝きが過去と同じである保証はない。飛躍して想像すると未来において、過去の記憶がインプットされたとしても認知できないのではないかという発想となる。説明が難しいけれでも。

 主人公が配属されたソフトウェア基礎研究部門は、人間システム、とくに認知システムを解明しようとするもの。人間の認知システムに用いられるコードは、24進法であることが解明されている。24進法の根拠は、23種イオンの電荷の種類に(開放値は0)よることが知られている。しかし、ノイマン型コンピュータは2進法しか扱えないため、ソフトウェアで疑似的に24進法を実現する。主人公は、修士論文で人間の認知システムが23進法だと主張したため、研究所に招かれたようだ

 研究所には、遺産のような旧型のバイオ素子コンピュータが保管されている。バイオ素子は、多細胞によって構成され、入力されたデータが、どの細胞に記録されたかを確定できない。バイオ素子間のコピーによって、同じデータが重複して記録される。バイオ素子間のコピーで、疲弊した細胞のデータが欠落するリスクは人間に例えると「忘れる」ことだ。人間の記憶や意識を再現できると主人公は考え、バイオ素子コンピュータに完結した世界を創造しようと思いつく。

 1994年6月4日、主人公はバイオ素子コンピュータ「IDA-10」を使って、その中にもう一つの世界、DUAL WORLDを創造した。 

 

 DUAL WORLD(二元的な世界)

 ぼくは1968年6月4日午前11時54分生まれ。大学の教室で原価計算の講義を受けながら、22歳を迎えるのを待っていた。部屋に戻ると、高校から付き合っている彼女の佳奈からの手紙が届いていた。佳奈との色彩に満ちた思い出が語られた後、ぼくは、真っ白の部屋に閉じ込められる感覚遮断実験の被験者となる。全く情報のない世界で思考の鈍化、自意識の欠如に襲わる・・・。

 

 

 この小説の一部が、早瀬耕の卒業論文に使用されたとのことだ。なので、卒論テーマは人間の認知システムに関してだったのかなと、推測する。1990年代前半は、コンピュータが台頭して間もなく、まだフロッピーディスク等を使用していた年代だ。AIの実体が分からない時代に、主人公はDUAL WORLDに「人間らしく破綻のない」世界を創ろうとする。存在や時間、意識や記憶についての知的な会話がそれぞれの世界で恋人との親密な会話となって登場する。今読んでも全く古く感じることがないのは、私がこの分野に詳しくないことが主たる要因かもしれないが、興味深く読み進められた。

 科学的に脳のシステムをとってみても、各々の細胞は、思考と呼ぶには足らない作業をしているだけだ。それがコヒーレントに自己組織化して、人間の思考とか意識を生む出している。情報の自己組織化が、気づけば人間らしさを表しているなんて、本当に不思議だと浅はかにも実感する。

 世界はひとつであるいう常識(思いこみ)は好きではないし、今の宇宙はマルチバースであるという事実が通説となっている。現代哲学者のマルクス・ガブリエルが主張するように世界がフラクタルだという考えだ。この小説にも

 我々は宇宙を内包して、我々のいる宇宙もより大きな宇宙に内包されていて、そのより大きな宇宙もさらに大きな宇宙に内包されていて・・・。

 ある意味、ロマンのある世界で惹かれるけれども、私たちは現実を必死に生きていくしかない

 いつか/どこかで、この小説のような会話ができたらと願いながら。