すべて真夜中の恋人たち

 すべて真夜中の恋人たちは、川上未映子の小説で「群像」2011年9月号が初出である。

 「真夜中はなぜ、こんなにもきれいなんだろう?」

 この問いに私なら何と答えるだろうか。それは、きっと、遮ぎるものが何もないからと、咄嗟に問われたら、答えるかもしれない。三束さんは、真夜中には世界が半分になるからですよと、言っている。昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけの力で光ってみせるから、真夜中の光は特別だと言う。

 語り手(主人公)の入江冬子は、会社員でいることに疲れ、フリーランス校閲者となって3年間働いている。「校閲」という仕事は、誤字脱字や言葉の使われ方や内容に事実誤認があるか調べる、つまりひたすら間違いを探すという仕事だ。冬子は、他人からは鈍感に見られがちで、自分というものを持っているのか、自分でもわからない。ずっと、独りで生きていた。

 フリーランスになったのは、大手出版者の社員で、その会社の校閲局に所属している石川聖の勧めがあったからだ。聖は、誰に対してもはっきりとものを言う性格で、冬子とは真逆のパーソナリティを持っている(気質の初期設定がまるっと楽観的にできている)。共通点は2つ(同い年で長野県出身ということ)。何故か、聖は冬子のことを気にかけて、仕事以外の話もするようになる。冬子の全部が面白いと嬉しいそうに笑う。

 冬子には聖がいることが当たり前になり、聖にとっても冬子といると安らぎを感じるようになる。

 作中、なぜ知らない人のことをこんなにも考えることができるのだろうと不思議に思いながら、冬子は気づくと三束さんのことを思い出していた。

 好きな人のことをどれだけ知っているのかと問われれば、一緒に生活していても、表面的なことばかり目につくかもしれない。何をもって好きな人を理解したと言えるのか。知るためには、深く深く潜っていかなければ、その人の光も闇もわからないだろう。時に痛みを伴うとしても。

 電気を消すと暗くなる。電気がついていたときにあった時にあった光は物に当たって吸収されてしまう。最終的にごく一部が宇宙空間に逃げていく。最後まで残る光はない。冬子はショパンの子守歌を三束さんから教えてもらい、脳内に残るくらい繰り返し聴く。その先には光が待っているはずと信じて。